Column

<新しさ>

「送り手の未熟」と「受け手の誤解」
この2つだけで、新しさが生まれてしまうこともある。

新しさなんて案外そんなものだったりするから、
「新しいものを作ろう」
と力む必要なんてない。

むしろ、力むことで強気から弱気に変わってしまうこともある。
ものを作る上での大敵は「新しさ」よりも「弱気」に潜んでいる。

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<些細な違和感>

たいていの違和感は、些細なものであればあるほど、その場の空気を読んで「無かったこと」にしてしまう。
その些細な違和感を放っておくと、結局それが原因で一大事になる。

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<無秩序に浸ってみる>

国や社会の秩序が乱れていて愕然とするできごとが続いています。

震災や過酷事故から学ぼうとしない権力機構。
平和に戻ったという幻想を繰り返すメディア。
不安なことを考えたがらず、面倒くさがりな市民。

結局何も変わらなかったという憤りが、誰の胸にもあるはず。



秩序、常識、習慣、通念、ルール、一般論、合意形成。

これらを皆が共有することで、普段はそれらをまったく意識せずに安心して生活できるというメリットがあります。

その中でもっとも強制力のあるものが法律。
法治国家は法律によって秩序を保っています。
その秩序が脅かされれば、その社会は根底から揺らぎます。

昨年から今年にかけて「緊急事態だから」という御旗のもと、さまざまな超法規的行動が跋扈しました。
電力会社の態度などでも分かるとおり、今や法律なんてあってないようなものにすら感じます。

ここであえて考えてみます。


  「乱れたはずの秩序は、もともと正しかったのか?」
  「これまでの秩序を乱さないことが、なぜ大切なのか?」
  「そもそも古い秩序に戻ることが、良いことなのか?」




今の社会秩序になってから67年。
たったそれだけの時間で作られた秩序。

どんな秩序も永遠であるはずがない。
大きく変化することだってある。
たまたま僕らが生きている今までは、この国の秩序が変化しなかっただけ。

視点を変えてみれば、

  「秩序が乱れた」のではなく、
  「これまでの秩序が変わりつつある」のです。



さらに突っ込んで、僕の今の意識は、


       無秩序に浸ってみる。


のひとことに尽きています。

無秩序に浸ってみて、一度自分の心を宙ぶらりんにしてみる。

どこにも繋がれていない不安感はものすごいです。
これまでの自分を否定する、という恐怖感もものすごいです。

ただ、そこから始めれば、新たな秩序を自分なりに探せるはずです。



自分が疑ったこともない、無意識下の常識や秩序を捨ててみる。
それが必要な時代が、もう始まりました。

だからこそ、自分なりの秩序を再構築し、これまでの自分自身とは違う常識で生きていく。
この覚悟はいま絶対に必要だと感じています。


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