この1週間はサマラ、カザン、ウーファと、大学受験が地理選択だった僕でさえ聞いたことの無いような中央アジアの都市を回って、本当に日本に帰れるのか心配でした。ようやくドイツに戻って明日から4日間スイスなので、普通の文明のありがたみを噛みしめています。こんなカザフスタン国境近くの町でも僕の音楽を知ってるなんて、世界って広いんだか狭いんだか。サマラでのライブ直前はこんな感じ。
ヨーロッパはコンビニがほとんど無いのでコンビニっ子の僕は1日に2回ほど禁断症状に陥ります。あーコンビニでハッピーターン買い食いしたい。
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僕は小さい頃からブルース・リーが大好きでしてね。あまりに小さい頃から好きだったので、漢字がうっすらと読めるようになる小学2年生くらいまでは「ブルー・スリー」だと勘違いしていて、「何でルパンは3世なのにブルーはスリーと呼ぶのだろう?」と悩んでいたほどです。「ブルース」のはずの略称を「ブルー」と呼んでいたマニアは僕くらいでしょう。
ブルース・リー出演の映画も、香港帰国後時代はもちろん、子役時代やアメリカ時代のテストフィルムばかりか、数多くのそっくりさん映画までも観ました。おそらく「カルトQ」ブルースリー編があれば結構イイトコまで行くんじゃない?なんて自惚れて痛い目を見るタイプのエセマニアを自負しています。
小学校のクラスの友達が僕の家に来て遊んでいる時も、真冬だというのにわざわざ上半身を脱いで黒いスウェットを履いたりして、友達を横目に一人で「燃えよドラゴン」スタイルで遊んでたりしてね。かなり頭悪いです。ヌンチャクだけは驚くほど上達しましたが。
そのままのカッコで普通に遊んでたら母親が帰って来て、一人トップレスで友達とこたつで温まっている僕の姿を見て、何を勘違いしたのか後で呼び出されてね。「あんまり変な遊びをしてはいけません」と真顔で諭されちゃったりして。どんな恥ずかしい勘違いをされたのでしょうか。どうやら母親はどちらかと言うと「萌えよドラゴン」ごっこだと思ったらしいです。それ以来ブルースリーごっこは死亡遊戯スタイルに変えました。といっても単に黄色Tシャツ着ただけですが。
先日、雑誌の取材で、小さい頃になりたかった職業を訊かれて思い出したのですが、僕は小さい頃は電車になりたかったんです。いや、運転手じゃなくて、電車そのものね。車輌。
当然のことながら運転席のある先頭車両になりたかったのですが、東海道線にするか東急東横線にするか本気で悩んでました。湘南の夏のミカン畑をイメージした東海道線のオレンジと緑のラインも捨てがたいし、東横線のオールステンレスボディも大変魅力的でした。ステンレスボディという点では昔の日比谷線もかなりそそられましたが、やはり先の2つには勝てなかった。
で、本気(と書いてマジと読む)顔で母親に訊いたんですね。幼な心に考えた訳ですよ、親としては息子に将来どっちになって欲しいのか、と。そしたらアナタ、人間は車輌にはなれないと言うではありませんか!・・・愕然とする僕を慮ってなのか、それとも頭の弱い息子を励ます意味でなのか、母親は僕に優しく告げました。「運転手だったらなれるよ」。。。人生において初めての挫折体験でした。