Column

お待たせしました

ようやくホームページのリニューアルも終わりました。
今回もroom compositeのカイシトモヤ君にお願いしましたが、さすがの出来映えに、普段は痰くらいしか出ない僕の喉からは、いまや感嘆のため息しか出ません。素晴らしい。
「おしゃれさんはカメラ好き」みたいな風潮に真っ向からぶつかるように「横浜育ちのカメラ嫌い」で通っているワタクシですが、少しは携帯のカメラ機能くらい使ってみようかな、そして人並みにブログっぽくこのページに写真とか貼ってみようかな、なんて思ってます。あ、でも思ってるだけなので、あんまり期待しないでね。

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イッセー尾形



僕は1980年代や80′s風の日本があんまり好きじゃないんです、と言うかキライなんです、いや、大キライなんです。僕がイメージする80′sって、インテリ風の奴があえて狂ったことをしてみたり、何かにつけてデザインが過剰だったり、刹那的というか度が過ぎた快楽主義というか。まあとにかくいけ好かないのですね。
その80年代嫌いはいつ頃からかと言えば、もうすでに80年代の時にリアルタイムに嫌いだったんです。ちょうど小学生〜高校生までの多感な時期がまるまる80年代だったのですが、もう世間のあらゆる流行が気に入らなかったですね。ニューウェイヴ/ニューロマンティック、ひょうきん族、ガンダム、とんねるず、西部警察、藤田ジャイアンツ、新日本プロレス、中曽根首相、、、日本にとっては絶好調の頃だったのでしょうが、僕的には全部ダメでした。好きだったのはファミコンとコロコロコミックくらいでしょうか。だから僕はファミコンとコロコロコミックだけで多感な10年を過ごしてたんですね。だからこんな変な大人に育っちゃったんだな。
イッセー尾形を最初にTVで観たのは月曜ドラマランドでの「いじわるばあさん」の警官役だったのですが、その後ちょこちょこTVに出ているのを見かけたりして、もう僕の中では絵に描いたような80年代男という印象があったんですよ。生理的に無理、って感じで。でもそれから数年後、中学生の時に深夜番組で偶然観た彼の一人芝居で彼への評価が180度変わりました。もう素晴らしいの一言。それで調べてみたら、もともと一人芝居が本業と知って、中学生ながら自分の不明を恥じたものでした。
何処にでもいそうなごく普通の人物を、これでもかってくらいに細かく描写していて、無理に笑いを取ろうともせず、落げも特になく、淡々とその人物になり切っている舞台。幕間では次のキャラクターへの衣装に舞台脇で着替え、その間の場内にはPaul Bleyのソロピアノが静かに流れたりして。このピンと張りつめた空気が本当に素晴らしい。なかなかチケットが取れない彼の舞台ですが、DVDも出ているのでぜひ観て欲しいです。
ちなみに僕が好きなのは、たくさんあるけど「中華屋」「ゴースケ」「昼下がりの大工」「今日から電器屋さん」「パリにて」などなど。部屋でピアノ弾きながら毎日観てます。

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コロコロコミック


今月はバタバタと1日2曲ペースで曲を作ってます。まるでイチローの安打ペースみたい。普段から躁気味の僕ではありますが、今はさらに輪をかけた精神状態で、外人に「How do you do?」と訊かれたら「躁々」と答えてしまうことでしょう。
少年ジャンプの連載マンガ家のように部屋のピアノとマックの前に貼り付いて作られた曲たちは、来月からTVで毎週お茶の間に流れることになりそうなので、聴きたくない人はTVの前で耳をふさいでて下さいね。
外出はほとんど家の下にあるコンビニのみという生活なのに、なぜか出費は多いんですね。何故かって?そりゃもうアナタ、アレですよ、「インターネットショッピング」ですよ。あれは魔物ですね。ワンクリックでン万円の散財も無きにしもあらず。amazonにフェラーリとか売ってたら、ついワンクリックで買っちゃいそうですもの。
しかしそこまでの勇気がない僕が最近買っているモノと言えば、昔のコロコロコミック。実は集めてるんですよ。創刊号なんていつの間にか2冊あるし。創刊からNo.10くらいまでのコロコロはスゴイよ。「ドラえもん」だけで200ページ(笑)。しかも単行本に載ってないレアなエピソード満載。どのキャラも全体的にぶっきらぼうなのが妙におかしい。
僕がリアルタイムで初めて買ったコロコロは1979年7月号。その時買ったのはそのまま持ってるんだよね。その辺の初期コロコロをヤフオクに出してくれれば、入札は僕がしますので。
次はコロタン文庫のコンプリートを考えてます。

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謹賀新年2007!!

新年明けましておめでとうございます!
昨年中は、そりゃもう色々とありまして、おかげさまで2ケタのタイトルをリリースすることが出来ました。がんばったよ、タケちゃん。途中から自分自身でもリリースの頻度についていけず「え?もうあれ発売してるの?」みたいな。本当に皆さんの懐を痛め続けることばかりでまったく心苦しく思っている次第ですが、今年も同じようなペースで行こうかな?なんて、全然反省の色が見られない様子の中塚武です。
おかげですっかり本業である文筆業がおろそかになってしまい、このコラムもなかなか筆が進まない状態ではありましたが、今年は「作家・中塚武」の面目躍如とばかりに、なるべく頻繁に更新していき、しょこたんに並ぶ「ブログの帝王」となろうと画策しております。もちろんブログ初の直木賞受賞も視野に入れております。
新年早々下らないご挨拶となってしまいましたが、僕の場合は下らないのは新年に限ったことではないのでどうかご容赦のほどを。
僕はと言えば、本日元旦よりCount Down JapanでDJをしつつもすぐにレコーディングのスタジオが入っていたりして、あまりお屠蘇気分を味わえないのです。でもお酒を年がら年中飲んでいれば似たようなものですね。しかし新年から「カウントダウン」って何だか良い響きだな。「今年も残すところ364日!」なんて叫んでみようかな。

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リニューアル!

ようやくホームページをリニューアルしました!今回のページデザインは僕的に超お気に入りなので、リニューアルの日を迎えられたのがすごく嬉しい!というわけでまたぼちぼち当コラムを再開しようと意気込んでいる次第でございます。ちょうど水木しげる著「ゲゲゲの鬼太郎」で登場人物たちが出す鼻息の描写を思い出して頂ければ、僕の意気込みがどれほどのものなのかご想像できるかと思っております。

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「お祝い」され下手

先週はイベントでお誕生日を祝ってもらっちゃったりして、年甲斐もなくマジで心の底から照れてしまいました。大雨の中だったのにたくさんの人が来てくれて感激でした。遊びに来てくれた皆さん、プレゼントまで持参してくれた皆さん、イベント関係者の皆さん、この場をお借りしてお礼申し上げます。どうもアリガトウ。
こんな仕事をしていて何ですが、昔から自分が主賓のようにお祝いされる場というのがどうも照れくさくてね。小さい頃から誕生日会なんてされたことがほとんど無くて、他人から呪われることはあっても祝われることが少ない性格なもので。
で、そういうお祝いの場で何が一番照れくさいかと言えば、その「お祝いされる」はずの場所に、お祝いされると分かっていてノコノコと出向いてしまう自分が一番恥ずかしいのですね。「何だよ自分、照れくさいとか言いつつ、しっかり期待してんじゃねーか?」なんて自問自答しながら、あまり物欲しげな顔とかしないように気をつけたり、イヤやっぱり素直に喜んだ方がいいかな?なんて自分の小心さを丸出しにしたりしてね。そんな下らない煩悩に頭を巡らせてしまうから、いざ「おめでとう!」なんて言われると、つい「すいません」って返答してしまったりして。おいおい普通は「ありがとう」だろーが。
イベントでも郵便でも、全国各地、果ては海外からも本当にたくさんのお祝いの品を贈って頂いて本当にアリガトウございます。本当に本当に嬉しい限り。頂いた贈り物を部屋に並べてみたら、そのほとんどが「お菓子」「日本酒」「酒の肴」「音楽」でした。うーん、みんな僕の事を本当に分かってくれてるなあ。まさにパーフェクトな晩酌セット。ワールドカップを観戦しながら、こころゆくまで堪能させて頂きます。当分二日酔いが続きそうなので「ウコンの力」を買い貯めしなきゃ。

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ヨーロッパツアー中

先月のGroovy Sauceが終わった後そのまま成田からヨーロッパツアーに発ち、今ドイツにいます。今回はNYのDJ、ursula 1000と一緒に回っています。昨日はフランクフルトでライブ&DJでした。こんな感じのお祭り騒ぎ。

この1週間はサマラ、カザン、ウーファと、大学受験が地理選択だった僕でさえ聞いたことの無いような中央アジアの都市を回って、本当に日本に帰れるのか心配でした。ようやくドイツに戻って明日から4日間スイスなので、普通の文明のありがたみを噛みしめています。こんなカザフスタン国境近くの町でも僕の音楽を知ってるなんて、世界って広いんだか狭いんだか。サマラでのライブ直前はこんな感じ。

ヨーロッパはコンビニがほとんど無いのでコンビニっ子の僕は1日に2回ほど禁断症状に陥ります。あーコンビニでハッピーターン買い食いしたい。

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散歩コース(浅草編)

今まで国家最高機密だったのですが、僕は年に3回浅草に行くんです。5月に三社祭を遠目で見に行って(ほとんど露店の焼きそばを食べ歩くだけですが)、夏の四万六千日にほうずき市を通り過ぎに行って(買ってもまったく使い途がないからね)、11月には並木藪の新蕎麦を食べに。ていうか他の2回もけっきょく並木藪には立ち寄るんですけどね。

三社祭とかはみんなイナセな格好しててね。僕なんかが着たら似合わないだろうなあ、なんて憧れながら焼きそばを食べ続けて。人でごった返しているにもかかわらず、都心のよどんだ人混みとは空気がまったく違うんですよね。みんな笑顔だからだろうなあ。笑顔だったらどんな人混みでも気持ち良いんだ、なんて考えながらまた違う露店の焼きそばを食べて。

その3回以外でも、レコーディングが早く終わって結構良い仕上がりになって、しかも次の〆切がまだまだ先、なんていう奇跡的な日は、その奇跡を祝うためにやっぱりぶらりと浅草まで足を伸ばします。
普段の日は焼きそばの露店も無いので、まず並木藪で蕎麦をたぐって、浅草寺をお参りしてから蔵前までのんびり歩いて、地下鉄に乗って森下の「みのや」の桜鍋を食べに行ったりしてね。つまりずーっと食べてるわけです。

少し前はビールで桜鍋を小鍋仕立てで、という感じだったのですが、ビールが苦手になった今は専ら日本酒で馬刺しが嬉しくなってます。

「何だかいつも呑気な生活してるなあ」というちょっとした後ろめたさがまたお酒にほんのり苦みを与えて、「まあまあ今日は奇跡のお祝いだから」なんて自分をなぐさめながら肉をつつく。
こういう散歩はぜったいにひとりで行くべきですね。誰とも会話しないからこそ美味い酒もあるから。さすが横浜在住の引きこもり。

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散歩コース(上野編)

普段の仕事の中では一日に別のレコーディングが2本続くことも少なくないのですが、場合によっては「お昼にレコーディングが終わって次が夜」なんてこともよくあります。横浜在住の僕の場合「ちょっと家に帰って仮眠」なんていう自分にやさしいスケジューリングも叶うわけがなく、大都会東京を一日じゅう迷子の子鹿のようにひざをガクガクさせながら彷徨うことになるわけです。
都心のまっただ中にいるだけで人混みに悪酔いしてしまうヤワな三半規管を持つ僕は、喧噪を避けて上野か浅草にひとりで散歩に出ます。
僕のおきまりのコースは、上野広小路駅から歩いてすぐ、和菓子の「うさぎや」でどら焼きと最中を買って、そのまま不忍池まで少し戻るんですね。
のんびり歩いて日差しの暖かさを肌で感じたら、池のほとりのベンチに座って、買ったばかりのどら焼きをやおら取り出してね。まだ温かい焼きたてのどら焼きをほおばりながら、さんと照っていた陽が傾いて空の色が焼けるまで、ぼぉ〜っと座ってるんです。ホントにぼぉ〜っと。たぶん口も半開きかも。
2、3時間ほど座っていると曲とかも浮かんじゃうのですが、この時に浮かんだメロディはどんなに良くても全部ボツ。五線紙メモに留めることもしません。だって面倒だから。この時ばかりはメロディよりもどら焼きがエライ。音楽は池を泳ぐ水鳥の音だけで良いんですよね。でも水鳥にどら焼きはあげません。水鳥よりも僕の方がこのどら焼きの美味しさが分かるから。
気づいたら周りは学生カップルか老夫婦ばかりで、男一人でいるのは僕か他のベンチで寝ているホームレスばかりだったりして。まあ僕も似たようなもんか、と思いながらこの日6個目のどら焼きを開け始めて。食い過ぎだっつーの。

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ミスタープロ野球

今日、数年ぶりにミスター・プロ野球、長嶋茂雄さんが公の場に出て肉声を披露していました。チビっ子に野球を教えたりしてるのも長嶋さんらしかった。別に彼が好きって訳でも何でもないのだけれど、人間が病気や挫折を乗り越えて社会に復帰することの尊さというものを見せてくれました。
彼が現役の選手時代にまだ僕は生まれていなかったので、選手としての彼の魅力は正直言って分からないんだよね。今やそういう人も大勢いるでしょう。だから監督とかやっててもいまいちピンと来なかったし、彼が元気な時は「過去の栄光」っていうか、周りが持ち上げ過ぎって感じがしてたんですよ。
でも今回は全然違う。プロ野球とは全く関係なく、人間が誰でも年老いた時に何らかの形で迎える老化や病気。それは乗り越えられる人もいれば残念ながら乗り越えられない人もいる。そこで元気な姿を、しかも公に見せられるというのは人並み外れた努力とリハビリが必要なんだよね。野球界のカリスマとか関係ない。むしろあれだけの注目とプレッシャーがある中でのリハビリと回復。その重圧。「今オレがどう見えているか」なんて関係ない「とにかく野球が好きなんだ」という彼の心意気に涙が出たし、心から尊敬の念を抱きました。
僕は不摂生なのでこの先どんな不健康な人生が待っているか分からないけど(とりあえず虫歯治さなきゃ)、どんな状態になったとしても、微力ながら何かを人に伝えたいという心意気だけは持っていようと思うんだよね。人間として生きている限り、自分の最期の瞬間までは他の人間のために心を尽くしたいな、と思いました。

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初風邪

新年あけましておめでとうございます!!
「花より男子」のおかげで中塚という苗字もすっかり全国区になった昨年でしたが、さあ今年も適当に怠けながらやるぞー、と元旦の朝にベランダから見える富士山に叫んだのが功を奏したのか、正月からすっかり大風邪ひいてしまいました。
さすが日本の誇るフジヤマ!初っぱなから怠けさせてくれてアリガトウ。
「風邪」という寝正月ですごすための最も良い大義名分を得たので、すっかりベッド&TVと友達になっていた僕ですが、正月番組のおかげですっかりお笑いに詳しくなって、お腹こわしたおかげですっかり胃腸もキレイになって、それでもヒマなので曲でも作って時間つぶしてました。おかげで正月3が日に3曲出来ちゃいました。まさに「風邪弾いた」って感じ。1年中風邪ひいてた方が良いかも、いやいやでもやっぱりお酒も呑まないと。
また来週から新年会の日々が始まるので、それに向けて万全の体調を作らないとね。今年もヨロシクです!

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インターナショナル

何を隠そう僕は「国粋」と言っても良いほどの愛国主義者なのですが、単に「日本が好き」という意味ではなくて「自国に誇りを持つことそのもの」が好きなのです。なので、他の国の人がその人自身の国を溺愛していたとしても、むしろそれだけでその人を信用してしまうのですね。みんながそれぞれ自分の故郷に誇りを持っていた方がキモチイイし。身近なものを愛するココロが好きなんです。
QYPTHONE結成時に「このバンドでの海外/日本国内の活動を50:50にする」という目標を決めたことがあったのですが、実際に海外のライブやリリースを続ければ続けるほど「自分たちは日本発の音楽をやっている」という強烈な自負心が必要だと痛感するんです。もう妄想に近いくらい思いこんだりしてね。そうすることでやっと外国人たちは「オ〜!アナタタチハニッポンノオンガクネ」と認知してくれるんですよね。
Hip Hop、R&B、Jazz、Brasil・・・ジャンルは何でも良いけれど、単に本物ソックリな音楽ってだけでは、日本国内だけならば「それこそがインターナショナル!」みたいな錯覚におちいるけれど、日本以外の人々にとってはただの亜流のニセモノ音楽なんですよね。だって本物がその国にあったりするんだもの。そりゃ本物聴くさ。
まったくオリジナルである必要は無いし、個性だけが音楽の本質とも思いません。むしろどこか聴いたような懐かしい感覚も音楽には大切だし。ただ、日本に住んでいて、日本で生活している中でしか持てない感覚、好み、実生活のニオイ。そんな身近な感覚を大事にして音楽を作ること。僕はそんな小さなことをすごく大事にしたいんだなあ。
一番身近なものを大切にすることが実はインターナショナルかも、なんて思いながら、これから年越しそば食べます。以上、朝からそばを喰うための言い訳でした。皆さん、良いお年を〜!!!

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デッサン

僕が描く絵のヘタさ加減はそんじょそこらの凡人とは訳が違います。まさに天才的なヘタさ。パースという概念にとぼしいらしく常に2Dの「ちびまる子ちゃん」状態。僕としては超立体的に書いているつもりでも、いざ描き上がると地中海の洞窟の壁画みたいになっているという事実は、すでに世界七不思議のひとつとして世界中に紹介されています。
就職活動でナムコを受ける時に企画書審査というのがありまして、一次審査でゲームアイデアを企画書に書いて、審査に通ると二次審査ではその企画書を実際にプレゼンする、という試験でした。自分の持っているだけの最高のデッサン力とサクラクーピーペンシルを駆使して、自分的にはまるでCGのような企画書を描き上げました。で、それをまずはQYPTHONEのメンバーに見てもらってね。QYPTHONEは他の2人とも絵に一家言持っていて、ボーカルの泉ちゃんに至っては某有名美大の油絵科だったりするんですね。で、何と2人とも大絶賛するんですよ!お〜、やっぱり僕には画才が!喜び勇んで理由を聞くと、「奥に行くにつれて広がるパースなんて描こうと思っても描けない。芸術的だ!」「これをワザと描けるなんてスゴい!」・・・あのーすいません、自分としては正確な遠近法なんですけど。。。今年のクリスマスプレゼントでサンタさんは僕に「デッサン力」をくれないかなあ。

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年末

両親が商店街のアーケードで総菜店を営んでいたこともあって、どうやら僕は幼いころから「商い人のお祭り感覚」のようなものを肌で感じる機会に恵まれていたようです。「音楽一家」とかだったらカッコイイもんなのですが、植田まさし4コママンガばりの「おっちょこちょい天ぷら屋一家」だったので、大人になってからも賑やか好きでオメデタイ性分は変わらないようです。たぶん血なんですね。まさに脳天気のサラブレッド、脳の晴れ男。作る曲もいまだに「少しは落ち着けよ」と言われるバカ騒ぎっぷりが薄まりません。単に脳の腫れた男だったりして。
で、大晦日とかになると親戚などの手も借りて、年越しそば用の天ぷらを「かき入れ時」とばかりに売るんですが、幼い僕も売り子として駆り出されるワケです。子供心にドキドキワクワクしたりしてね。もちろんほとんど何の役にも立たないんですが。アーケードもお客さんでごった返していて、店もお客もてんてこ舞いなんですよ。冬なのに汗だくだったり。そういう雰囲気が大好きでね。
で、大晦日までの3日間くらい家族総出で手伝って、大晦日の夜を迎えた時の充実感というか達成感というか、「みんなでやり遂げたね」みたいな空気に家族全員が包まれるんですよ。ちょうど文化祭の後のような雰囲気って感じで。まあ家族だから文化祭につきもののロマンスなどは残念ながら無いのですが。そんなこんなで、ガキのくせにクリスマスよりも大晦日の方が断然好きだったんですね。
今はもう両親とも総菜屋をやめて隠居暮らしをしてますが、僕はと言えば今もそのクセが抜けずに年末が近づくと訳もなくウキウキしたりしてます。意味もなく血が騒ぐんですね。サラブレッドだから。年末の僕が妙に上機嫌で時々「ヒヒーン」と叫んでいたらそのせいだと思って下さい。別に脳が腫れてる訳ではないです。

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音楽メディア

最近、音楽を聴く時はほとんどiPodかPower Bookからしか聴いていないことに気づきました。ちょっと前まではCDケースにCD何枚か入れてCDウォークマンと一緒に持ち歩いていたのに、今ではCDすらも「かさばるなあ」なんて思っちゃったり。すでに「コンパクト」ディスクとは思えなくなってますね。それどころか最近では、CDからiPodに読み込むひと手間ですら面倒になってます。もともと面倒くさがりの横着者なので、こういう便利な時代になると助かっちゃいます。こうやって時代はだんだんとCDから遠ざかって、来年の今頃にはCDなんかもう買わなくなって、ほとんどダウンロードかフラッシュメモリで音楽を買うことになっているのかも知れないなあ。
ジャケットとか歌詞カードといったアートワークのあり方も激変しそうですね。ちょっとした動画PVが同時購入できるのが当たり前になったり。音楽だけのダウンロードと動画込みのダウンロードだと値段が少し違ったりしてね。
そうなると、音楽を作る側からも、初めから音楽と映像のワンセットが前提の作り方をする人も出てくるでしょうね。ミュージシャンとCGデザイナーのコラボレーションとか、もっと踏み込んでデザイナーの作品に音楽がついてたりね。僕も何人か大好きな映像作家の方がいるので、そういう面々と一緒に何か作ろうかな、と企んでいたりもします。
でも、たとえそんな時代になっても、音楽だけで人に伝えたいことや、人に伝えたいという気持ちは今までと変わりないし、僕の音楽の作り方も作る姿勢も、時代によって変えていくことはしないだろうなあ。メディアがどう変わろうとも、技術が飛躍的に進歩しても、人のココロを動かせるのは人のココロだけですからね。

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ブルース・リー


僕は小さい頃からブルース・リーが大好きでしてね。あまりに小さい頃から好きだったので、漢字がうっすらと読めるようになる小学2年生くらいまでは「ブルー・スリー」だと勘違いしていて、「何でルパンは3世なのにブルーはスリーと呼ぶのだろう?」と悩んでいたほどです。「ブルース」のはずの略称を「ブルー」と呼んでいたマニアは僕くらいでしょう。
ブルース・リー出演の映画も、香港帰国後時代はもちろん、子役時代やアメリカ時代のテストフィルムばかりか、数多くのそっくりさん映画までも観ました。おそらく「カルトQ」ブルースリー編があれば結構イイトコまで行くんじゃない?なんて自惚れて痛い目を見るタイプのエセマニアを自負しています。
小学校のクラスの友達が僕の家に来て遊んでいる時も、真冬だというのにわざわざ上半身を脱いで黒いスウェットを履いたりして、友達を横目に一人で「燃えよドラゴン」スタイルで遊んでたりしてね。かなり頭悪いです。ヌンチャクだけは驚くほど上達しましたが。
そのままのカッコで普通に遊んでたら母親が帰って来て、一人トップレスで友達とこたつで温まっている僕の姿を見て、何を勘違いしたのか後で呼び出されてね。「あんまり変な遊びをしてはいけません」と真顔で諭されちゃったりして。どんな恥ずかしい勘違いをされたのでしょうか。どうやら母親はどちらかと言うと「萌えよドラゴン」ごっこだと思ったらしいです。それ以来ブルースリーごっこは死亡遊戯スタイルに変えました。といっても単に黄色Tシャツ着ただけですが。

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巷のブーム

最近「日本のオタク文化が世界を席巻している」とか言うニュースをよく見るようになりましたねぇ。「アキバ系」なんて言葉まで生まれて、日本のデザイナーが書いたそれっぽいイラストがヴィトンのバッグにまでプリントされたりして。TVの深夜番組とかつけっ放しにしてると、メイドの格好したお姉さんがずいぶん甲高い声で「モエ〜」とか叫んだりしていて、まるでジャイアンの歌みたい。あ、ジャイアンは「ボエ〜」か。
で、こういう過剰なブームが起きると決まって、なぜかみんな「オタク文化大賛成」みたいな空気になるのが日本人の可愛いところ。そんなこと大して気にしてなかったはずなのに「実はオレもオタクなところがあってさあ」なんて言い始めたりしてね。「何のオタク?」と訊くと「グルメオタク」って、そりゃ単なる食い過ぎだって。こりゃもう1億総オタク化現象ですね。
あと最近もう一つよく思うのが、ちょっとした体調不良も最近は何だかもっともらしい病名がついてるなあ、と。「ナントカ症候群」とか「ナントカ障害」とかね。ツッコミ入れたくなる病名も結構あったりして。この前知り合いが「海外旅行から帰ったら睡眠障害になっちゃってさあ」と言っていたので「安心しなよ。それは時差ボケだから」と教えてあげたら、なぜだかすごくムッとしてました。
僕も最近はガリガリ君の食べ過ぎで虫歯になってるから、「エナメル質障害のスウィーツオタク」です。

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「ホメられると伸びる」の誤解

「人ってどうしてホメられるとやる気になるんだろうなあ。」と最近考えてたのですが、過去のひとつひとつの出来事を丁寧に思い返していくと、実はホメられた事って、ホメられたいからやっていた訳ではなくて、ホメられる前から単に自分が好きで続けてた事が多いな、、、と。自分が好きで続けてたことがたまたま偶然誰かの目にとまってホメられただけのことで、実はホメられてもホメられなくても、結局のところ自分はそれを淡々と続けてたんだろうなあ、とね。
僕って、何かが得意になるためには「ホメられたい」っていう動機だけだと意外にあんまり長続きしないんですよね。むしろ「ケナされてもいいや」っていうアッケラカンとした気軽な気持ちじゃないと、実際にケナされた時にヘコむ度合いが高くなってしまって精神上よろしくない。ヴァル・サン・ランベールのクリスタルガラス製のハートを持ち、そのレプリカをルーブル美術館に寄贈するほどに傷つきやすい僕としては、「ケナされて当然」と思うところから始めないとすぐにハートにヒビが入ってしまうからね。
「自分ってホメられると伸びるタイプなんだよね」と思ってる人は結構いるけど、本当のところは、ホメられた時にはもうすでに実際に伸びていて、それを見て他人がホメてるんだってことを忘れて錯覚してるのかも知れないですね。考えてみればそりゃそうだ。大して良くもない事をお世辞でホメてくれるほど他人はヒマじゃないし。だから大抵の場合は「ホメられると伸びる」のではなくて「伸びたからホメられる」のでしょうね。
・・・と、ここまで書いてて「ホメられる」という言葉を14回も使っている自分に気づきました。何だかんだ言ってやっぱりホメられたいんじゃん、オレ。
なので、お世辞でもいいのでガンガンホメてやってくださいね。もれなくその場でブヒブヒ言って木に登りますよ。僕の場合は「ホメられると登る」タイプです。

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小さいころの夢


先日、雑誌の取材で、小さい頃になりたかった職業を訊かれて思い出したのですが、僕は小さい頃は電車になりたかったんです。いや、運転手じゃなくて、電車そのものね。車輌。
当然のことながら運転席のある先頭車両になりたかったのですが、東海道線にするか東急東横線にするか本気で悩んでました。湘南の夏のミカン畑をイメージした東海道線のオレンジと緑のラインも捨てがたいし、東横線のオールステンレスボディも大変魅力的でした。ステンレスボディという点では昔の日比谷線もかなりそそられましたが、やはり先の2つには勝てなかった。
で、本気(と書いてマジと読む)顔で母親に訊いたんですね。幼な心に考えた訳ですよ、親としては息子に将来どっちになって欲しいのか、と。そしたらアナタ、人間は車輌にはなれないと言うではありませんか!・・・愕然とする僕を慮ってなのか、それとも頭の弱い息子を励ます意味でなのか、母親は僕に優しく告げました。「運転手だったらなれるよ」。。。人生において初めての挫折体験でした。

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CDショップ

幸運にも好きな音楽を生業にすることができて早5年。これまでも色々な人たちに支えられて何とかここまで生きながらえていますが、僕がまだ経験していない事があるんです。それは「CDショップで僕のCDを買ってくれる人を見る」こと。皆さんも知っている通り、僕は人々から「ミスター内気」と呼ばれていて、世界一シャイな人間として来年度のギネスブックにも載る予定なので、自分のCDがお店に並んでるだけで挙動不審になってしまうんですね。
何年か前に「Aguas de Agosto」をリリースした時に、渋谷のCDショップで僕のCDのコーナーを「誰か買わねーかな」と物陰からじっと見ていたら、その僕をじっと見ている私服ガードマンと目が合って非常に気まずい思いをしました。
それ以来なかなか自分のCDのコーナーを凝視できなくなってしまいましたが、今度の「Laughin’」の発売の時にはぜひ一度見てみたいものです。
CDショップの物陰に潜んでいる僕を発見した時は、そっとしておいてあげて下さい。間違ってもガードマンに通報しないように。

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