Column

【情報アレルギー対策(2) 無関心は当然】

(つづき)

情報アレルギーの予防対策2つ目が、【他人の無関心を当然だと思うこと。】

ネットでは「情報を受け取る」と同じくらい「情報を発信する」ことも、あまりに容易にできてしまいます。
ってことは、自分と同じように「何かを伝えたい」と思ってる人もたくさんいるわけですね。
それだけじゃなく、大したことじゃない誰かの独り言と、自分がすごく伝えたい大切なことが、まったく同じ土俵に並んでしまうのです。

ツイッターなんてその最たるものですね。
なにせ、
「人生って何だろう?」
のすぐ後に
「超眠いなう」
とか平気で続いちゃうんですから。



これが意外と、気づかぬうちにボディブローのように心にダメージを与えたりします。

結構ちゃんと伝えようとしたのに、誰かのマヌケな写真画像に話題をさらわれたり(えてしてシリアスな話題はマヌケな写真1枚に負けることが多い)。

昔自分が書いた時にはスルーされたのに、同じことを後になって超有名人が書いて大反響になってたり。

他人事だと笑っちゃうけど自分事だと笑えない、みたいなこの種のダメージは意外にボディに来ます。
ネットが無かった時には、住む世界が違う人同士が同じ土俵に上がることなんて無かったのですから、これはもう完全にネットの影響です。



「そんなに肩肘張らずに、気楽にやろうよ」
と思うときもあります。
でも何かを伝えようとする時って、たいてい気楽じゃないものなんですよね。
また、そういう気楽じゃない時に限ってスルーされるんですね、これが。

だから、こういうのはもう自分ではコントロールできない、いわばお天気みたいなものだと考えることが大切ですね。
「ああ、雨が降ったのか」
くらい当然のことと考えておけば、必要以上にクヨクヨしなくて済みます。



 他人が読んでくれることを前提に書きながら、
 他人が読まないことを前提に発表する。



なんだか禅問答のように聞こえますが、いざそういう姿勢で何かを伝えてみると、ものすごく心が安寧へと導かれます。
気分を楽にする逆説。

これって実は、ネットや情報社会とは無関係に、表現の基本でもありますね。
僕が音楽を作る時のモットーだったりもします。

(つづく)

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